澪の小説ブログ

様々なお役立ち情報を自身の経験を通して発信! 自作の小説もアップしていきます!

占いは当たるのか?

東京アラートというのが発動となっているようですが、実のところ、どんなものなのかよく分からず調べたのですが、『東京アラートって何かよく分からない。』という書き込みばかりで、みんな一緒だなと思っております(笑)。

危険である事には変わりないので、引き続き、気を付けて過ごしていきましょう!

テレビでは、あたかもようやく終息したかのように言っていますが、感染者数の数を観ると、緊急事態宣言の解除や休業緩和の波が来そうですね。

 

 

さてさて、皆さん、突然ですが占いって信じますでしょうか?

以前、私は全く信じておりませんでした。

それに加え、ネットの広告なんかは(特にブログサイト)、占いの広告が多くて、何がそんなに需要あるの?なんて思っていました。

おみくじとかも一切引かなかったわけなのですが、幽霊にしろ、超能力にしろ、科学で解明できないものって、インチキだと思っていたんです。

ウチは父親が理数系の大学を出て、理数系の仕事に就いていた為、そういうのは全く信じるな、とまるで悪を扱うように教わっていた為、そのような先入観があったのかもしれません。

 

ただ、ある時、科学だけが全てなのかな?なんていう素朴な疑問を思いを持ち始め、そういう科学という言葉を使って、それ以外のものを頭ごなしに否定するのは何とも考えが浅いのかな、なんて思った事があります。

そんな、ふと思っただけの事なのですが、同時に子供の頃のある記憶が蘇って来ました。

その経験とは………!

 

 

私は小学4年生から6年生まで、中学受験の為に学習塾に通っていました。

私、5科目の中では断トツで国語が好きだったのですが、それは高校に上がってからで、それまでは国語が苦手でした。

本を読む事も一切しなかったし、読書感想文の宿題にマイナーな漫画や絵本の感想を書いて出したぐらいです(笑)。

ネットの普及した今では絶対にできない事ですね(笑)。

高校生の時に小説の面白さに気付き、それ以降は完全なる文系人間になっていったのですが、小学生の頃は文章を読み、それに関する問いに答える、というのがとにかく苦手でした。

その為、国語の特訓ゼミというのを受けた事があります。

 

あれは小5だったかと思いますが、実際に小説も書いている作家の先生が丁寧に国語の授業をしてくれました。

その先生が言っていたのですが、『思いってのは伝えようという気持ちが強ければ、伝わる。』(ニュアンスがちょっと違うかも)と言い、必ず授業の初めにある事をやってくれました。

 

まず、生徒にトランプを1束渡します。

先生は完全に目を伏せ、生徒だけがこっそりと1枚カードを決めます。

そして、そのカードの記号(ハートか、スペードか、ダイヤか、クローバーか)をみんなで心の中で思ってくれと。

例えば、ハートだったら、“ハート、ハート、ハート………”と思い続けてくれと!

 

そして、その記号が何かを答えるのですが、必ず当てていました。

外した事は1度もありませんでした。

 

その先生曰く、人が込めた思いが念のようになって、自分のおでこの真ん中辺り(ほんの少しだけくぼんだ部分)にそれが届くという事です。

かなり昔の事なので、記憶が曖昧ですが、確か記号だけで、数字までは念を込めてなかったと思います。

こういうと手品のようですが、当時の学習塾は結構堅かった為、そのような事をするとも思えません。

また、私もそのトランプを引いた事がありますが、トランプには本当に何の仕掛けもなく、ちゃんと均等に全ての記号や数字がありました。

 

 

なんていう話を思い出し、大人になった今考えると、結構凄い事やってたな、なんて思い、それを期に目に観えない力ってものをあるんじゃないかな、と思うようになりました。

 

少しだけ時を進ませ、私の中学生以降のお話を。

私の中、高、大時代はハッキリと言って結構悲惨なものでした。

 

そんな学習塾に通いながらも、私は中学受験では滑り止め校にしか受からず、偏差値がとてつもなく低い私立の中学校に進学しました。

そこでは当然楽しい学校生活なんぞはおくる事ができず、そんな学校しか受からなかった事もあり、家庭は一時荒れに荒れました。

社会人になり、少なくとも家庭仲は良くなったかと思いますが、当時の事を思うと、本当に偶然では済ます事ができないほど、不運に不運が重なり、狙ったかのように悪い事ばかりが起きていきました。

社会人になり、当時の事を思うと、あれだけの悲劇が重なったのは偶然だとしたら天文学的数値になると断言できます。

 

それが、自分が科学だけが全てではないと思ったきっかけです。

 

 

スピリチュアルというと、何か怪しげな感じがありますが、当然ながら、私も「この壺を買えば幸せになる。」といった事は今でも一切信じません。

何より、この「スピリチュアルはあるかないか?」なんていう言い争いは答えの出ない不毛な議論だと思います。

自分の中だけで決めれば良い事にも思います。

 

また、スピリチュアル肯定派、否定派を俯瞰で観た時、否定派の人達の異常なまでの非科学に対する嫌悪は、肯定派のスピリチュアル信仰とは比べ物にならないほどだなと感じた事もあり、そこが科学だけに考えを偏らせたくないと思った事柄の1つかもしれません。

 

 

ちょっと理屈っぽい文章になってしまいましたが、そんな事はどうでも良いのです!

ライトな感じでこの文章を読んでもらいたいのですが、数年前、面白半分で占いに行った事がありました。

その日はある年の年末で、来年1年間で起きる事を占ってもらおうと。

そうすれば、1年後に答え合わせができると!

 

次回は、そんな占いに行った時のお話を書こうかと思います!

占いはどうだったのか?

 

 

では、また次回の記事で!